trois incense

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003:匂いと想像力の実験

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庄子結香 Shoji Yuko

宮城県出身。絵とデザインのユニット「カレラ」のグラフィック・デザイナーとして、主に書籍デザインに携わる一方で、個人プロジェクトthe fictional mapで、ZINEの制作など好奇心の赴くままに活動(現在は充電中)。

匂いに形はあるでしょうか。記憶の中の匂いを思い出す時、あるいは夢の中で現実にない匂いを嗅いだ時、それを他の人に伝える時にあなたはどんな表現をするのでしょうか? 私はある日突然“匂いの形”を知りたいという欲求に取り憑かれました。

嗅覚の器官である「鼻」は顔の中で唯一常に開いている器官です。これは匂いが「生命に関わる重要な情報」であるということを意味しています。幼い頃からアレルギー性鼻炎持ちの私にとって「匂い」は未知の領域でしたが、2013年の秋、ある大学図書館で閲覧した18世紀のフランスの古書の匂いが気になり、それを調べるうちに匂い自体に興味を持ちました。生物にとって重要な器官である嗅覚を使った愉しみに耽溺して、最終的にそれを他の人と共有するためにワークショップをすることになりました。

このワークショップのヒントになった出来事があります。香料や香水など匂いを収集し始めるとそれを誰かに嗅いでほしくなりました。そのうちのひとりの友人がある匂いを嗅いで、すぐさま「宇宙人をつかまえて手術するためにおなかを開いた時の匂い」と言いました。私の中で“匂い”と“イメージ”と“フィクション”が結びついた瞬間でした。その宇宙人の匂いの正体はイソブチルキノリンという合成香料で、香水ではレザーノート(革のイメージ)に用いられています。それまでただぼんやりと匂いを嗅いで良い気分になっていた私は、この発見と興奮を形にしたいと思ったのです。

匂いから喚起される語彙の幅は人によって差があります。匂いを表現する時につい抽象的な形容詞)「甘い」「さわやか」など)を使いがちですが、ソムリエのように名詞(「濡れた子犬」や「暑い日のタイヤ」など)の表現を使うとより具体的で客観的な表現になり、その言葉が非現実的であったり、組み合わせが突飛だったりするほど奥行きが出てそこにフィクションのイメージが生まれます。また、「匂い」は記憶を喚起するため、かつて遭遇した人や場所など過去に向かいがちですが、匂いから想像したイメージを、経験を足がかりにさらに「経験したことがない」世界に飛ばすことも可能です。

物語を読む時、たとえばそれが昔話であっても私たちは言葉を媒介に「おじいさんとおばあさんが桃を拾った」世界をイメージ(想像力による経験)をすることができます。私が試みた実験は、言葉を匂いに置き換えたものでした。これを応用すれば、聴覚、味覚、触覚など、あらゆる感覚で物語を読むことができるのです。それは目を覚ましながら見る夢のようなものですが、これを言葉にすることで私たちは主観(経験)を共有することができます。生命にとって大事な器官である嗅覚を精神の遊びに使う後ろめたさを感じながら、それでも私は感覚の冒険をやめられないのです。


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the fictional map presents
Lo-fi Nose Lab
嗅覚と想像力の実験室

音楽を聴くように、小説を読むように匂いを愉しむ
嗅覚と想像力の自動書記

嗅覚は即時にイメージを喚起する装置だ。
生命に関わる危険なサインを判別する高性能な器官は、
現代の平穏な日常の中で想像力を伴い暴走する。

嗅覚を媒介して発生したイメージの実験は、2016年から2018年まで、東京、京都、仙台、前橋などで行われた。
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▶︎参考文献:「匂いの帝王 : 天才科学者ルカ・トゥリンが挑む嗅覚の謎」チャンドラー・バール 著/金子浩 訳(早川書房)

メイン写真:ワークショップで用意された10種類の匂いの入った瓶
下部写真:後日ワークショップで収集したイメージを冊子にして、それに添付した“宇宙人の匂い”(ワークショッップで使用したNo.4の匂い)